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箱根駅伝ノート

箱根駅伝ノート
著者
出版社 KKベストセラーズ
出版年月 2017年12月
価格 1,250円
入手場所 ブックオフ
書評掲載 2020年12月
★★★☆☆

 2020年の陸上競技界は異例のシーズンだった。
 東京オリンピックに備えて新設された国立競技場は、新型コロナウイルスの影響で静まり返り、オリンピックそのものすら延期になってしまった。
 レースや記録会も軒並み中止され、今年のシーズンはあきらめるしかないのだろうかと落胆していたが、厳戒下のなかで箱根駅伝予選会が実施され、全日本大学駅伝の号砲も鳴り響いた。
 年の瀬に向けて例年通りのイベントが開催されてくると、いよいよこの大会への期待が高まってくる。

 そういえば、ロードレースもさることながら、トラックレースも活況だ。
 通天閣のイルミネーションが赤く染まり、緊急事態宣言が伝えられる大阪で、開催が危ぶまれた日本選手権が、つい昨日行われた。
 女子5,000mで演じた田中希実の鋭いラストスパートに、同10,000mで見せた新谷仁美の鬼気迫る独走劇。
 気象条件にも恵まれ、期待以上に好記録が出て盛り上がる大会を鮮やかに締めくくったのは、やはり男子10,000mだった。
 ハイレベルな標準記録を突破した選手が多数に上り、2回に分かれたレースのB種目では、オープン参加の外国人が自重する予想外の展開のなかで、中谷雄飛(早大)が果敢にレースをけん引した。
 ラストは市田孝(旭化成)が社会人の意地を見せてトップでフィニッシュしたものの、3着にも太田直希(早大)が入るなど、若手ランナーが27分台を達成するなど好記録が続出した。
 圧巻は同A種目で、大迫傑や佐藤悠基ら国際大会経験者を従え、社会人1年目の相澤晃(旭化成)と伊藤達彦(Honda)が五輪標準記録を突破する激走を見せ、3位の田村和希(住友電工)までが従来の日本記録を上回るという、ハイレベルで見応えあるレースを見せてくれた。

 そんな彼らには共通点がある。
 ナイキの赤いスパイクだろうか?
 いや、それもあるかもしれないが、いずれも箱根駅伝経験者であるという点だ。
 一昔前は、世界に挑戦するためには、高校卒業後に実業団に進むことが一般的だったが、箱根駅伝人気の高まりに伴い、高校で実績ある男子選手が、関東の大学に進学する傾向が鮮明になっている。
 テレビや雑誌で取り上げられることも多くなり、特別に注目度が高いこの大会に関しては、少々記録を出せばチヤホヤされてしまい、勘違いする学生も出てくることから、男子マラソンが弱体した要因は箱根駅伝であると、犯人扱いされることもある。
 だがここ数年、箱根から世界を目指そうとする指導者が現われはじめ、いまや日本トップクラスの多くが箱根経験者であるという事実は、日本の長距離選手育成ルートが好循環に入りはじめた証なのかもしれない。

 本書には、かつて箱根駅伝を走り、いまはジャーナリストとして大学駅伝を取材する著者が、各大学の合宿やトレーニングに密着し、記録してきた所感が大学ごとに章立てされてまとめられている。
 レースで見ることができる姿だけではなく、SNSで同僚と交わされる素直な喜びや、練習日誌に秘められた誰にも明かせないような苦悩など、肉体的にも精神的にも成長途上といえる学生ランナーの繊細な心理状況を垣間見ることができる。
 とりわけ、高校時代には無名だったものの、大学入学後に力をつけ、ユニバーシアードのハーフマラソンでそれぞれ優勝と準優勝に輝いた片西景と工藤有生の駒沢大コンビの成長する姿や、名門校ゆえに涙ながらにマネージャーへの転進を余儀なくされた早稲田大学の学生など、選手を陰で支える立場も丁寧に描写されていて、トップクラスの選手だけではなく、箱根を通じて人間的に成長させてくれる、このレースが持つすそ野の広さを教えてくれるようだ。
 だからこそ、コロナ禍であっても、この「特別」なレースの開催が国民から待ち望まれているに違いない。

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