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瀬古利彦 '84ロスへの激走

瀬古利彦 '84ロスへの激走
著者 木村幸治
出版社 徳間書店
出版年月 1984年6月
価格 \980
入手場所 N蔵書
書評掲載 2009年2月
★★★★☆

 メダルが期待された、1984年ロサンゼルスオリンピック・男子マラソンに挑む瀬古利彦と、その指導者である中村清への取材を中心に構成された短編集。
 初出は主にスポーツ誌「Number」の特集記事で、瀬古の両親、高校時代の恩師、早大競走部時代の同僚など、綿密な取材を通して、様々な角度から人間・瀬古利彦を描き出しながら、円谷幸吉や君原健二といった、前世代のメダリストらを引き合いに出し、オリンピックで戦うことが、どれほど難しいことなのかを探っている。

 当時の瀬古は、オリンピックではメダル確実と言われるほど連戦連勝だったが、本書では「完璧な優等生」のように見える瀬古が、人知れず苦悩する様子や、挫折した経験を丹念に描写している。とりわけ、私には2度の大きな挫折と、そのいずれも克服した復活劇が印象に残った。
 まず1度目の挫折は、高校時代にスーパースターの名をほしいままにした瀬古が、受験に失敗し、アメリカに留学していた頃の信じられない堕落ぶりだ。
 この件について、瀬古とともに南カルフォルニア大に留学していた同僚がコメントを寄せているが、コーチ不在の孤独な環境で苦しんだ瀬古が、帰国後に監督就任初年度の中村清に出会い、乾ききった喉を潤すかのように、中村の言葉を吸収していく過程は、とても運命的だ。

 そして2度目の挫折は、ロサンゼルスオリンピックのマラソン選考会となった東京マラソン前に経験した、故障との戦いだ。
 それまで故障とは無縁だった瀬古が、海外遠征中に裸身の女性に目を奪われた拍子に足を捻挫して以来、度重なる故障に苦しんでいた時期に、中村が聖書にある言葉を引き合いに出して奮起を促すやりとりは、とても臨場感にあふれている。
 これらのテーマの多くは、「Number」の掲載記事であるが、単行本では写真がないのがなんとも残念だ。なぜなら、当時の同誌(Number 74号。タイトルは『中村清の「聖書」』)」には、記事のバックに、中村が愛用した、ボロボロの旧約聖書が鮮やかに写っているからだ。それは、表紙がガムテープで補修され、インクの滲んだラインが何本も引かれ、所狭しと中村の書き込みが付されている迫力あるカットなのだ。たった1枚の写真ながら、幾度となく読みこんできたことが、一目で伝わってくる。
 しかし、決して中村はキリスト教に帰依しようとしたわけではない。本書によると、むしろ「中村が求めたのは、禅とかキリストとかの党派性のない、それぞれの宗教のよい所を混合して摂取した宗教観(P174)」だった。
 そんな「中村教」というべき精神的な思想に支えられ、東京マラソンでの日本最高記録樹立という復活に至る過程は、マラソンという競技が、どれほど奥深く、そして時には運命的な縁も欠くことができない、神秘的な競技であるかを教えてくれる。Number74

 ちなみに、本書の初出となり、瀬古、宗兄弟や増田明美ら、ロサンゼルスオリンピックのマラソンに挑む関係者を特集した「Number 74号」は、私が学生時代に神田の古本屋で偶然発見し、衝動買いしてしまった「運命的な一冊」である(写真右 文藝春秋刊)。
 「Number」に掲載された写真が素晴らしいだけに、文章だけの本書が殺風景に見えてしまうだけでなく、誤字が多い点も気になった。最後の詰めを誤らなければ、「金メダル」間違いなしだったのに・・・。

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