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走って、悩んで、見つけたこと。

走って、悩んで、見つけたこと。
著者
出版社 文藝春秋
出版年月 2019年8月
価格 1,400円
入手場所 楽天ブックス
書評掲載 2019年9月
★★★★☆

 マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)まであと2週間。
 来年の東京オリンピックの代表選考会として、2年弱に渡るMGCシリーズで出場権を得た精鋭が競う国内最高レベルのレースを控え、いまから心躍らせているマラソンファンは少なくないだろう。
 メディアは男子を民放(TBS系列)が、女子をNHKがそれぞれ同時間帯に全国放送するという異例の報道体制を敷き、視聴者の関心がいかに高いのかを窺い知ることができる。
 ファンとしては、TBS(男子)とNHK(女子)のどちらにチャンネルを合わせるべきか、とても、とても悩ましい選択を迫られるわけだが、勢いがある選手が集っている男子レースの方に、今回は注目が集まるのではないだろうか。
 とりわけ、昨年日本記録を塗り替えたばかりのこの男からは目が離せない。

 本書の著者・大迫傑は、これまでの常識にとらわれないトレーニングスタイルを貫いている。
 実業団という安定した立場を捨て渡米。ナイキ・オレゴン・プロジェクトへ挑戦し、プロランナーとして生きる覚悟を決めていることがその象徴だ。
 結果を出せなければやめさせられてもおかしくない状況で、日々プレッシャーを感じていました(P70)という過酷な環境に身を置き、言語、文化、そして練習方法も大きく変化するなかにあって、自分がやっていることに集中して、自分で自分の道を切り開いていくしかないんです(P72)と自らの意志を愚直に貫いてきた。
 本書はそんな異色のスーパーアスリートが、現役バリバリながら自らの半生を振り返り、悩める読者へ「自ら信じる道」を歩むことの大切さを伝えてくれる。

 もちろん、これほど強い意志を持ち、厳しい環境にも対峙してきた著者のアドバイスは生半可ではない。
 感覚が変わるのが嫌だと言う選手もいますが、それは僕から見たら慢心です(P71)。足が痛いから何もできない、面倒臭くて今日は休んでしまったとか、そういう話を聞くとこういう選手が実業団で潰れていくんだろうなと思ってしまう。楽しいことが目の前にあって、日本にいたら僕もそうなっていたかもしれません。でもそこで緩まないようにするのが大切なのです(P73)と安易な方向に流されずに、目標を明確にして妥協しない姿勢の大切さを強く訴えている。
 そんな著者のアドバイスは実業団選手に対してのみならず、市民ランナーにも手厳しい。
 巻末の「大迫傑に学ぶQ&A」では、腸脛靭帯炎の克服法と予防法についてこれはもう我慢です。とにかく走りましょう。ちなみに僕は我慢して速いスピードで走ったら良くなりました(笑)(P186)と、スポーツ医学の専門家が仰天してしまいそうなアドバイスや、本番に弱いというランナーからの質問に対してはパッと思いついたのは練習不足じゃないかということ(P189)とピシャリと突き放す。
 趣味で走るファンランナーに対しても竹を割るように一刀両断する様子は、厳しい世界を生きる者ゆえの「愛情の裏返し」なのだろう。

 ところで、著者が本書でもっとも伝えようとしていることはなんだろうか?
 それは、結果に対しての責任は全て自分にあるという姿勢を明確にしている点ではないだろうか。
 たとえば、中盤以降の「言い訳をしないこと。」と題された章では、マラソンのみならず、日常生活やビジネスの世界にも応用できそうで何度も読み返してしまった。
 なるほど自分に対する厳しい姿勢は、これまで著者に対して抱いていた印象と変わりなく、むしろその背景や目的が明確になった一方で、本書を読んだ後に印象が変化した点がひとつだけあった。
 それは子どもたちの未来に対する彼の愛情の強さだ。
 子どもへの提言では、大人の意見に追従するだけではなく、自分の意見を持ってほしい。
 大人への提言では、子どもがプレッシャーを感じる言動は慎み、温かく見守ってほしい、と語る一言は、ひとりのアスリートからのアドバイスにとどまらず、6歳の娘を持つ父親としての一面が垣間見られるようだ。
 自分がいくら伝えようとしたところで、伝わらない人には伝わらない(P46)とメディアでの発言は慎重な姿勢をとっているからこそ、本書で伝えられる、秘められた著者の哲学には学ばされる点が多い。

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