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超える力

室伏広治 超える力
著者 室伏広治
出版社 文藝春秋
出版年月 2012年6月
価格 \1,300(税別)
入手場所 市立図書館
書評掲載 2014年9月
★★★★☆

 陸上競技の国際大会において、日本人が上位で争う可能性のある種目と言えば、戦前は三段跳びや棒高跳びなどの跳躍系が、そして戦後はマラソンがお家芸とされてきた。
 一方、投てき系に目を向けると、やり投げで世界記録に肉薄した溝口和洋や、同じくやり投げで世界選手権の銅メダルを獲得した村上幸史以外は、あまり記憶にない。
 日本人は体格的に劣るから、投てきには向いていない。
 とりわけ、砲丸投げやハンマー投げは、重量物を飛ばすパワーを競う競技であって、世界との差が大きい種目と思われていた。
 だが、この概念を真っ向から否定し、世界の頂点に立った日本人アスリートがいる。
 それが本書の著者・室伏広治だ。

 室伏広治といえば、アテネオリンピック(2004年)やテグ世界選手権(2011年)で金メダルを獲得し、2003年には当時世界歴代3位のパフォーマンスをみせた、ハンマー投げの世界的トップアスリートだ。
 そんな第一人者ではあるが、国際大会でテレビを通じて映る彼の姿は、周囲の選手に比べて非常に小柄で、心もとない。
 それもそのはずだ。
 室伏の体重が100kg前後なのに対し、東欧を中心にした他の選手は120〜130kgと、一回り違う。
 ではなぜ、体格的には劣る室伏が、投てき種目で何年も世界トップクラスに君臨しているのか。それは、ずば抜けた運動能力の高さと、「ハンマー投げ」の極意を追求し続ける絶え間ない研究のたまもの、というのが、本書を読んで感じたことだ。

 室伏の運動能力の高さは、幼少時代から注目されていて、当時の成田高校陸上部顧問の小山裕三は彼を評して「広治の素質は飛びぬけていて、全身がバネの塊のようだった。(P129)」と語り、畑違いの柔道の先生からも、オリンピック級の選手になれると太鼓判を押されていたそうだ。
 たしかに、父・重信は「アジアの鉄人」とも呼ばれ、母・セルフィナもやり投げのルーマニア代表でもあった両親の血筋を引き継ぎ、先天的な素質があったであろうことに疑いはない。
 だが天賦の能力だけでは、37歳(当時)になってもなお世界トップクラスのパフォーマンスを維持することは決してできないだろう。
 才能というダイヤの原石を丹精込めて磨きあげ、本物の宝石として輝かせている。これが室伏の凄さだ。

 室伏のハンマー投げに賭ける情熱は、「道(どう)」の域に迫り、「鉄人」と呼ばれた父に対し、「哲人」という言葉が似合いそうなくらい、研究熱心な様子が伝わってくる。
 なぜハンマーが遠くに飛ぶのかをとことんまで追求する探究心、そして室伏を支える「チームコージ」の活動こそが、原石を磨き続けているのだろう。
 そして、室伏の活動範囲はいまやハンマー投げにとどまらない。
 世界を転戦する意義を訴え、勝利至上主義に陥りがちなスポーツの目的について再考を促し、ドーピングには強い警鐘を鳴らし続けている。
 「世界で戦うということは、勝敗だけを争うのではない。その土地に畏敬の念を持てなければ転戦することの意味は薄いものでしかないし、尊敬できない相手との競い合いでは大きな達成感は得られない。リスペクトし合えるアスリート同士が戦いを繰り広げ、フェアプレーというスポーツの精神に基づき、気持ちのいい試合をする−それこそがスポーツの持つ真の醍醐味であり、それでこそ見る人に感動を与えることができるのだ(P163)」という一言には、思わず何度もうなずいてしまった。
 従来のスポーツ観に革命を起こしそうな彼の活動は競技の結果以上に、これからも目が離せなくなりそうだ。

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