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評伝 孫基禎

評伝 孫基禎
著者
出版社 社会評論社
出版年月 2019年4月
価格 1,400円
入手場所 市立図書館
書評掲載 2019年8月
★★★★☆

 日韓関係が揺れている。
 「最終的かつ不可逆的に解決されること」を両国で合意したはずの、戦時中のいわゆる従軍慰安婦問題はいまだ両国のクサビとなりつづけ、日韓請求権協定で解決されたと考えられていた徴用工問題では、日本企業が訴えられる事態に至っている。
 これまで円滑だった経済活動においても、日本が輸出管理の「ホワイト国」から韓国を除外すると報道されるや、韓国の対日感情は悪化の一途をたどり、日本製品不買運動や、訪日旅行キャンセルなど、ニュースは連日この問題に費やされている。
 そしてついには、韓国側が来年の東京オリンピックボイコットも辞さず、などという意見まで聞こえはじめてきた。

 オリンピックの理念に照らすなら、世界の平和を祈り、政治的な争いから隔絶されなければならないはずだが、残念なことに、過去にもオリンピックが政治の具に利用され、スポーツが翻弄されてきたことも忘れてはならない。
 記憶に新しいシーンといえば、モスクワオリンピック(1980年)でアメリカが呼び掛けたボイコットに日本が追随し、金メダル確実と期待された瀬古利彦(マラソン)や山下泰裕(柔道)らが出場できなかった。
 しかし、本書を読み終えると、この男ほど戦争と政治に翻弄され、それゆえに平和の大切さを教えてくれる人物はいないと痛感させられる。

 なぜか。
 日本人のマラソン好きは世界に類を見ないほどだが、「日本」のオリンピック・マラソンでのメダル初獲得者が誰かを答えられるファンは、決して多くはないだろう。
 1936年のベルリンオリンピックにおいて、日本マラソンの四半世紀にわたる悲願が今達成されました(P57)と当時のNHKアナウンサーが興奮し、金メダルを獲得したのは、日本統治下の朝鮮で育った孫基禎だった。
 だが、孫の活躍は日本と朝鮮双方において複雑な対立を生んでいく。
 優勝の表彰台で、ポールにはためく日章旗を眺めながら、「君が代」を耳にすることは耐えられない屈辱であった。私は思わず頭を垂れた。そして考えてみた。果たして私が日本の国民なのか? だとすれば、日本人の朝鮮同胞に対する虐待はいったい何を意味するのだ? 私はつまるところ、日本人ではあり得ないのだ。日本人にはなれないのだ(P60)と語る数行に心が張り裂けそうになってしまう。

 その後、孫の活躍を報じる現地紙・東亜日報でユニフォームの「日の丸」が削除されて報道される消えた日の丸事件(P66)が社会問題に発展するなど、日本と朝鮮の対立は深まっていく。
 さらに、孫の快挙が自信を持たせ、独立運動を勢いづけるのではないかという恐れから、皮肉にも孫への監視と統制が強まってしまう。
 日の丸を背負い、「日本」に悲願のマラソン金メダルをもたらしたにも関わらず、屈辱的な扱いを受け続けた。
 諸々の壁を乗り越え明治大学へ入学したものの、走ることは禁じられ、念願の箱根駅伝にも出場できなかった。
 この国籍にまつわる問題は植民地統治が終わってもなお、現在に至るまで暗い影を落としている。
 孫は2002年に他界したが、オリンピックゴールドメダリスト孫基禎の葬儀に、日本のスポーツ界関係者の参列が一人もいない、これが未だ続く現実(P122)であり、また日本を代表する陸上競技専門誌を発行する出版社による「マラソン最強伝説に掲載された「オリンピック日本代表マラソンランナー列伝」にも、孫と銅メダリスト・南昇龍の名は見つからない。
 マラソンに造詣が深いジャーナリストの武田薫は著書においてベルリン大会の金メダルが孫基禎にもたらした日朝双方からの圧力は想像を絶する(マラソンと日本人 P81)と思料したように、孫の存在そのものに触れてほしくない負のオーラを感じてしまう。
 戦争と政治に翻弄された過酷な生涯を経たからこそ、孫は晩年「スポーツと平和」について語りつづけた。
 オリンピックは勝敗だけにこだわるイベントではなく、平和の祭典であってほしい。
 各国を迎えるホスト国として、彼が生きた証をもう一度見つめなおしたい。

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