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昭和十八年 幻の箱根駅伝
−ゴールは靖国、そして戦地へ−

昭和十八年 幻の箱根駅伝
著者
出版社 河出書房新社
出版年月 2016年9月
価格 \1,800(税別)
入手場所 市立図書館
書評掲載 2016年12月
★★★★☆

 こんな偶然が本当にあるのだろうか?
 これまで見過ごされてきた「幻の箱根駅伝」とも呼ばれる昭和十八年大会を舞台にしたノンフィクションが、異なる出版社から、異なる著者によって同時期に出版されるなどということが。
 早坂隆による「最後の箱根駅伝(中央公論新社)」の初版発行は、2016年9月25日。
 一方、澤宮優による本書の巻末には、2016年9月20日初版印刷・9月30日初版発行とある。
 日刊紙による書評も、2016年12月4日に「幻の箱根駅伝」が地方紙で紹介されるや、翌週の12月11日には「最後の箱根駅伝」が日経新聞に掲載されていた。
 どちらも「うちが元祖だ!」と言わんばかりの意地の張り合いに思えてしまうのは私だけだろうか?
 しかも登場人物や参考文献はもちろん、貴重な写真の数々もほとんど重複しているではないか。

 なぜこの時期に同じテーマのノンフィクションが出版されたのだろうか? その疑問を拭い去ることは難しいかもしれないが、おそらく両者に共通した想いは、著者がまえがきで語る下記のコメントに集約されているのではないだろうか。
 いまや学生駅伝では無類の存在感を示す青山学院大学出身である著者は、本書の冒頭で、母校が初出場した昭和十八年大会に興味が惹かれたと、執筆のきっかけを述べながら、この大会について記すことは、今や日本中を熱狂させる存在となった箱根駅伝を通して、戦争と平和という意味について考えさせるきっかけになると信じた。当時を走った選手たちは今では歴史の影にうずもれてしまったが、彼らに光を当てることで、戦時下でスポーツに打ち込んだ若者たちの姿を今の時代に残さなければならないと思った。何よりも真摯に走ることに打ち込んだ彼らの命を奪った戦争というものがどんなに惨いものだったか、そして平和を享受している今の時代のありがたみを知ることで、私たちはこれからも強く平和な日本を維持してゆかなければならない。あの大会の真実を明らかにできれば、スポーツという視点からの新しい角度で教訓を導き出せるのではないかと考えた(P4)と熱く語り、関係者が存命のうちに語り継がなければならないという、作家としての使命感を触発されたことが伺える。

 両者の思いが共通するだけに、これら2つの作品は非常に類似していて、甲乙をつけることは難しいのだが、強いて本書の特徴を挙げるのであれば、それは臨場感だ。
 たとえば、五区の山登り区間で繰り広げられた先頭争いを称して、トップの慶應の岡は区間三位の走りで、ゆるぎなく首位をキープし、山を登ってゆく。だが鬼神の如き力走を見せたのが、日本大学杉山だった(P103)。と、聞き書きであるはずのエピソードにも関わらず、あたかも著者がライブで観戦していたかのように描写されている場面が多く、思わずグイグイと引き込まれてしまう。

 一方、ストーリー展開の妙は「最後の箱根駅伝」の方に軍配を上げたい。
 本書が200ページ強に凝縮された単行本になっていたのに対し、「最後の箱根駅伝」が300ページ強のボリュームであったためか、後者の方が一区から十区まで各校の主要人物を自然に紹介し、次のランナーへも流れるようにストーリーをつなぎ、さらにその後の余生もさりげなく掲載している点が、読み物としては好印象が残ったような気がする。
 だが、戦争に翻弄され、それでも箱根駅伝を走りたいと願った若人の挑戦に強く胸が打たれることには変わりない。
 この大会では対校戦とはいえ、他校のアンカーがゴールの靖国神社に到着するたび、敵も味方もなく一斉に出迎え、抱き合って泣いたという(P143より)。
 そこに勝者も敗者もなかった。もう来年は箱根駅伝はないだろう。それに自分もすぐに戦争に行くことになるだろう。そしておそらく死ぬだろう。だが今回走った者のすべてが死ぬわけじゃない。一人でも二人でも生きて還って来た者が、必ず後世にこの大会を伝え、箱根駅伝を永遠に続けてゆくことだろう(P146)と、大会開催にこぎつけた学連幹事の中根敏雄が、皆が感激で抱き合うゴールを見ながら感じた一言に、箱根駅伝が今なお愛される本当の理由を垣間見ることができたようだ。

参考書籍:早坂隆著 最後の箱根駅伝(中央公論新社刊)

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