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「人間力」で闘う
−佐久長聖高校駅伝部 強さの理由−

「人間力」で闘う
著者 両角速
(聞き書き 北原広子)
出版社 信濃毎日新聞
出版年月 2011年3月
価格 \1,400(税別)
入手場所 信濃毎日新聞
書評掲載 2011年7月
★★★★☆

 高校陸上界の長距離種目において突如として現れた新興勢力。
 しかも、偶然有力選手に恵まれたなどという単発性の事象ではなく、全国高校駅伝では毎年のように優勝候補に名が挙げられている。
 彼ら佐久長聖高校の現役部員やOBを中心として構成された都道府県対抗駅伝においても、近年の長野県チームの躍進は、過去の成績を知る者にとって隔世の感がある。
 そう、つい最近まで、長野県の長距離種目のレベルは、全国から注目される存在ではなかったはずなのだ。
 私も同郷で同競技に従事していた者のひとりだが、著者の言葉を借りれば、身近にこれほどまでの逸材がごろごろしていた(P216)ことは、大きな驚きだ。
 本書は、当時無名の存在だった佐久長聖高校の「駅伝部」監督として、数々の有力選手を育ててきた両角速の生い立ちから現在までを追い、彼の確固たる指導哲学や競技観を探った作品。

 いまや卓越した指導者として、日本陸上界から一目置かれている彼の哲学とは、どんなものなのだろうか。
 数々のレコードホルダーを輩出してきた人物なのだから、さぞや順位や記録にこだわる人物だろうと思っていたが、本書のタイトルにあるように、彼の指導哲学は、「人間力」を育てることに集約されている。
 本書を見つけた時、「人間力」とは面白い言葉だと違和感を覚えたが、本書を読んでいるうちに、この言葉は、順位や記録で表わされる「競技力」とは対極の概念なのかという気がしてきた。
 特に、彼が競技でこだわっていることが、順位などの定量的な評価ではなく、自分の力を出し切ったか、である(P98)と語っている件は、同じ競技経験者として、共感を禁じえなかった。

 競技力だけでなく、社会に出ても通用する感性を磨いてほしいという願いが感じられる一方で、選手育成に関するジレンマも吐露しているのは興味深い。
 グラウンドもなかった創部以来、自らランニングコースを造成し、寮での食事や備品整備、同部専用バスの導入など、彼らの活躍に比例するかのように選手育成に必要な待遇改善がなされ、順風満帆であるかに見える一方で、生徒を無菌培養(P238)し、没個性集団になっている心配も抱いているのだ。
 16年の指導で子ども達の変化を見ている自分にすると、陸上ばかりにとらわれ、走ることばかりに一生懸命になることの弊害が目につく。想像力がない、ひらめきがない。それが大きな弊害だ(P243)と語り、金太郎飴ではない、個性的な選手を育てていきたいと、最終章で語っている。

 かつて、中距離走の魅力を日本中に知らしめた佐藤清治、「楽天的」で「豪快」な上野裕一郎など、数々の個性的な選手が同校から巣立っていったが、そんな選手をもっと育てていきたいという願いが感じられる。
 指導者が自分の器以上の指導をすることはできない。だから指導者として自分の器を大きくしていかないと、生徒を大きく育てることはできない(P39)と本人が語るように、常に柔軟な指導、そして新たな環境を求めて、自らの器を限定しようとしない姿勢は見習わされる。
 折しも、昨年度(2011年3月)を限りに、両角は同校を勇退し、母校の東海大学で指導に携わることになった。
 高校生とは違った接し方が求められる環境で、どんな選手が育っていくのか、そして指導者としてどれだけ器の大きな人物になっていくのか、まだまだ彼の言動からは目が離せそうにない。

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